戦後の鉱山

終戦直後は一時的に生産の停滞を生じていますが、わが国の産業復興とともに資源少国における貴重な存在として、再び活気を取り戻し生産量もしだいに増えていきます。
しかし昭和30年代に入ると、海外とりわけ開発途上国の鉱山開発がすすみ、世界的な過剰生産の状態になって、銅の価格が低下します。そこで、コストを押さえながら生産のみを増やすいわゆるスケールメリットを追う生産方法がとられるようになりました。
やがて戦時中の乱掘などにより、有力な鉱脈が減少し老境に入ってきた鉱山は、段階的に縮小生産に移行していきます。昭和41年(1966)すでに旧式となった製錬所が廃止され、昭和47年(1972)には親会社から分離して尾去沢鉱山(株)となり、従業員も371人に縮小されました。
昭和53年(1978)5月、長期にわたる銅価格の低迷と資源の枯渇により、400年を超える長い鉱山の歴史に幕を下ろし、ついに閉山するに至りました。