更新日:2019年03月21日
菅原吉祥女神忌1100年祭に向けて
901年大宰府(だざいふ)に左遷された菅原道真公(すがわらのみちざねこう)の夫人・吉祥女(きっしょうめ)は、同年奧州胆沢郡母体(おうしゅういさわぐんもたい=現在の奥州市前沢区母体)に3人の子どもと従臣とともに配流(はいる)され、903年道真公の訃報(ふほう)を受けて病に伏し、906年に逝去(せいきょ)した。一関市東山町田河津小田間(ひがしやまちょうたこうづこだま)にその墓所が存在し、この「菅公夫人(かんこうふじん)の墓」周辺で、文化財保護とまちづくりの事業の一環として、平成11年に平安の香り漂う「東風(こち)の里」づくり構想が持ち上がり、平成17年9月12日菅原吉祥女神忌1100年祭を斉行する計画が進んでいる。
昭和45年、村内郷土史家が発起人となり1000年祭が催され、昭和期から福岡県太宰府町との交流が続いており、平成6年の大宰府天満宮第39代宮司が一関市東山町を訪れ、「飛梅」を植樹するなどの交流が深まり、九州から多数の参拝者が墓前に訪れるようになっている。

菅公夫人の墓
行政と民間が力を合わせて
町と管公夫人の墓史跡保存会は、「平安の香り漂う道奥の『東風(こち)の里』づくり構想」をまとめ、管公夫人の墓所周辺地区を歴史公園として整備を進めている。すでに梅の植樹や用地買収、公衆トイレの整備を終えた。今後は遊歩道や案内板の整備、平安様式の建物(管公堂、拝殿、四阿(あずまや)、塔など)の建築、農産物直売所兼食堂の設置などを進め、平成17年の菅原吉祥女神忌1100年祭に備えるとともに、地域資源を生かした新たな名所づくりに取り組んでいる。

「東風(こち)の里」づくり構想

「東風(こち)の里」づくり構想(現在の様子)

菅公夫人の墓 周辺図