更新日:2019年03月28日
地域の資源「啄木」を縁に
平成13年7月、北海道・函館市の小学生3人が玉山村(現在の盛岡市玉山区)を訪問した。3人は函館市で開かれた啄木かるた大会の優勝メンバー。目的は啄木の故郷・玉山村の小学生とのかるたを通じた交流である。
玉山村出身の石川啄木は明治40年5月、故郷を追われて北海道・函館の地を踏む。函館での滞在はわずか4カ月ほどだったが、生涯の知己である実業家・宮崎郁雨と知り合い、また、清楚な姿にひかれ、のちに歌集『一握の砂』に彼女への恋歌22首を収めた同僚・橘智恵子との出会いがあるなど、思い出の地となった。啄木が郁雨への手紙に「〜おれは死ぬときは函館へ行つて死ぬ」とあり、あまり知られていないが、現に啄木の墓は函館市にある。
さらに、代用教員時代の啄木は、子どもたちを自宅に招き、かるたに興じたという。

玉山・函館啄木交流かるた大会
これまでの交流をさらに発展
玉山と函館はこれまで、それぞれのマラソン大会での選手交流や、石川啄木記念館と函館市文学館の講師派遣などを行ってきた。しかし、中学生が修学旅行で玉山を訪れるほかは、子ども同士の交流はなかった。
今回は、北海道のからの申し出を契機に、玉山村教育委員会主催の「わんぱく子どもセミナー」に函館市のかるた大会優勝者等数名が来村し、一緒にかるた大会等を実施したもの。
石川啄木記念館の嶋千秋館長は「これをきっかけに、玉山と函館の交流をさらに広げたい」と話している。