南部牛追唄/南部牛方節
特徴
下閉伊郡や上閉伊郡、九戸郡から南部牛を放牧場からセリ市につれて来る途中に唄われたのが「牛追唄」。鹿角から盛岡へ、沢内から黒沢尻(北上市)の藩の米蔵へ、内陸地方から沿岸部へなど、物資輸送の牛方が唄ったのが「牛方節」で、江戸時代初期から伝わる、岩手を代表する民謡の一つ。現在唄われている「牛追唄」は最も美しい旋律をもっているといわれる沢内地方のもので、戦前から唄われている。
名称 | 南部牛追唄 |
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発祥地 | 下閉伊郡 岩手郡小本街道沿線 西和賀町沢内 遠野市 |
歌詞 |
田舎なれどもサーハーエ 沢内三千石 お米の出どこ さても見事な 牛方浴衣 今度来るとき 持って来てたもれ 肥えたべこコに 曲木の鞍コ 江刈葛巻 牛方の出どこ |
名称 | 南部牛方節 |
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発祥地 | 下閉伊郡 岩手郡小本街道沿線 西和賀町沢内 遠野市 |
歌詞 |
キヤホ〜パーパーパー つらいものだよ 牛方の旅は 牛よつらかろ いまひと辛抱 待っていろよ 牛方のかかさん 藪川街道に 深野沢がなけりゃ 赤も良い〜 高白も良い さんさしだの中 萱野のうさぎ |
南部馬方節
特徴
全国各地では一般的に「馬子節」として唄われているが、岩手県(旧盛岡藩)では「馬方節」と呼んでいる。曲調、歌詞とも「草刈唄」「萩刈唄」系統で、夏の朝、草刈り作業を終えて我が家に戻る農民が、ゆったりした気分で唄ったものといわれる。
名称 | 南部馬方節 |
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発祥地 | 盛岡市 滝沢村 |
歌詞 |
ハアアーア アアーアーエ 南部片富士 裾野の原は さても見事な 馬喰さんの浴衣 朝の出がけに 山々見れば ひとり淋しや 馬喰の夜ひき 一夜五両でも 馬方いやだ 妾もなりたや 馬喰の嬶に 心細いよ 馬喰の夜道 |
南部駒引唄
特徴
元禄4(1691)年に盛岡城内で馬喰たちが唄ったという記録が残る歴史の古い唄。御用馬喰の仲間同士が座敷などで掛け合いで唄ったため一般にはあまり普及していなかったが、昭和の初めに採譜されてから普及したといわれる。
名称 | 南部駒引唄 |
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発祥地 | 盛岡市 |
歌詞 |
「ハァー今日は天気もよいし 目出度エ 言うなエ語るなヨー 「ハァーともぐつはらってドンドと |
南部道中馬方節
特徴
馬市でセリ落とされた馬を曳くときに唄われたもので、馴れない若駒をつないで曳くので日中を避け、主に夜間に曳くことが多かった。このため、馬に声をかけて気を静めさせ、同時に自分の眠気をさますために唄われた。
名称 | 南部道中馬方節 |
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発祥地 | 旧盛岡藩領一帯 |
歌詞 |
矢立エハァ峠のエハアエ夜風をエ こころ淋しや 馬喰の夜道よ 一夜五両でも 馬方いやだ さても見事な 馬喰のゆかた ここはどこよと たずねて見れば |
外山節/正調外山節
特徴
明治時代に外山につくられた御料牧場の作業員たちが唄った「草刈唄」がその起源。牧場の閉鎖とともに一時忘れ去られたが、昭和初期に2種類の元唄が発掘され全国に広がった。レコードで「現代版外山節」が普及したため、「正調」はあまり知られていない。
名称 | 外山節 |
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発祥地 | 盛岡市玉山区 |
歌詞 |
わたしゃ外山の わしと行かねか わたしゃ外山の 外山育ちでも 外山街道に 日の戸越えれば わらび折り〜 あねこ行かねか |
名称 | 正調外山節 |
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発祥地 | 盛岡市玉山区 |
歌詞 |
わたしゃ外山の 外山育ちで 色こそ黒い 南部外山は 駒コの出どこ 俺と行かぬか あの山越えて |
チャグチャグ馬コ
特徴
昭和45(1970)年の岩手国体のためにつくられた新民謡で、元唄は花巻市大迫町の「一寸きま」といわれる。
名称 | チャグチャグ馬コ |
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発祥地 | 盛岡市 |
歌詞 |
馬コうれしかお山へ参いろ 去年祭りに見染めて染めて おらが馬コは三国一よ さつき柳の北上川へ |
名称 | 発祥地 |
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南部馬方三下り | 旧盛岡藩領一帯 |