虎女さま

特徴

 旧盛岡藩領に伝わる陽気な盆唄で、元唄は「ナニャドヤラ」。「とらじょ」は「虎蔵」がなまったもののようで、唄に出てくる女性・天間のみよ子は明治24(1891)年生まれの実在の人物、評判の美人だったといわれる。

名称 虎女さま
発祥地 旧盛岡藩領一帯
歌詞

「ナニャトヤラエ
ナニャトナサレタ
ナニャトヤラ」
とらじょさまから
なに買ってもらた
お白粉七色蛇の目傘

雨コバラバラ お白粉落ちる
傘コ買ってけろ とらじょさま

親父もらってけだ
おがだコばほしぐね
ならば天間の美代子ほし

美代子ほしたて
およびもないよ
いまじゃ坪の元めァかが

美代子美代子と
呼ぶとぎァよがった
美代子嫁に呉で事ァ欠けだ

親父ァなんても 兄貴ァなんても
わたしや平間の美代子よい

南部殿さま ボタ餅好きで
夕べ七皿 今朝八皿

南部よいとこ 粟めし稗めし
のどにひっからまる干菜汁

さんさ踊り唄

特徴

 「さんさ(参差)踊」は盛岡市周辺に伝わる盆踊りで、三ツ石神社の羅刹鬼(鬼の手形)伝説がその起源といわれる。本来は灯火も衣裳も不要の踊りだったが、江戸時代の文化・文政期に盛岡藩主の命で踊りが統一され、三本柳(盛岡市)に巻物とともに伝授された。以降「伝統」をかたくなに守り、他所にそのまま教えなかったため、現在でも地域によって踊りや衣裳が大きく異なる。

名称 さんさ踊り唄
発祥地 盛岡市
岩手郡
紫波郡
歌詞

サッコラチョイワヤッセー
さんさ踊らばヤハエ
品よく踊れ
(サッコラチョイワヤッセー)
品のよいのを
嫁にとるサンサエー

南部一つ甚句

特徴

 「ヤライ節」とも呼ばれ、盛岡藩の伝統的な盆踊りの一つである「ナニャドヤラ」と「甚句踊」、「ナニャドヤラ」と「久慈盆踊」など他の盆踊りと交互に踊られる地方に伝わっている。本来「ナニャドヤラ」は拍手のない踊りであるが、「甚句踊」「参差踊」には拍手が入るので、それが混じり、拍手の入る数で「一ツ甚句」とか「三ツ甚句」または「三ツ踊」などと区分されている。

名称 南部一つ甚句
発祥地 旧盛岡藩領一帯
歌詞

一ッ甚句踊りの始まる
ノオコリャ時は

へらもしゃくしもありゃ
手にノオコリャつかぬ

ナニャトヤーラ ヨオイヤナ
ナニャトナサレテノオコリャ
ヨオイヤナ

村のはんずれの地蔵様も
踊り見てノオコリャ動き出す

老も若きも嫁も姑も
ノオコリャ出て踊る

唄えや踊れ夜明けまで
夜明けがらすが
ノオコリャ鳴くまで

江刺甚句

特徴

 昭和30年代に生まれた新しい唄で、お祭り好きの土地柄と岩谷堂商人の積極性や商売上手の賜物か、「江刺甚句まつり」として大々的に唄われている。

名称 江刺甚句
発祥地 奥州市江刺区
歌詞

甚句踊りは
かどまで来たや
じいさま出てみろ
コリャ孫つれて
(チョイサ チョイサ)

この家座敷は
めでたい座敷
すえにゃ鶴亀
コリャ舞い遊ぶ

めでたうれしや
思ふことかのうた
四つのすみから
コリャ黄金わく

甚句踊りの
江刺の里は
味がじまんの
コリャ米どころ

気仙甚句

特徴

 気仙地域に伝わっている数少ない民謡の一つ。「遠島甚句」の同類で、古い姿のものは最初に「ハァー」をつけず、囃子言葉もなく、すぐ唄いだす。祝い唄として唄われているものもあるが、詞型は七・七・七・五で、終わりの五に「ホニ」を入れ、七にして唄う甚句の定型である。

名称 気仙甚句
発祥地 大船渡市
歌詞

ハァー気仙甚句の
(ハ、コリャ〜)
コラ始まる時は
天の岩戸も
アレサ押し開く
(ハ、ヨイト〜)

気仙よいとこ
寒九の雨に
赤い椿の 花が咲く

気仙名所は
数々あれど
広田根崎の椿島

花は咲いても
実のなるまでは
どうせ妾も 一苦労

五葉山の白雪
朝日でとける
島田娘は 寝てとける

沖で三十日 港で二十日
思った大船渡に たゞ七日

南部囃子甚句

特徴

 盛岡藩お抱え遊芸師グループの流れをくむ大迫町の人形遣いの太夫が、大正時代に興行して廻ったとき、人形劇の出囃子として唄ったもの。通常の「甚句」には必ず踊りがつくが、この甚句では人形が踊る。

名称 南部囃子甚句
発祥地 紫波町佐比内
歌詞

押せや押せ押せ
一関までも
押せば都が
コラサッサ近くなる
(コラサッサー)

城下盛岡 すみよい所
南部片富士
コラサッサ 黄金わく
(コラサッサー)

鶴の一声 雲間に響く
はやし甚句が
コラサッサ世に響く
(コラサッサー)

沢内甚句/正調沢内甚句

特徴

 藩政時代の盛岡藩の隠し田の地・沢内で、飢饉の際に年貢米減免のために庄屋の娘・よねを藩に差し出した。その悲しみを唄った盆踊り唄。もとは太鼓と手拍子だけで唄われる素朴な唄だったが、昭和の始めに三味線の伴奏つきでレコード発売されたことから全国に広がった。原曲は県北地方の「ナニャドヤラ」といわれ、低音から唄い始めるものと、中音、高音からのものという三つの様式があり、甚句の形式としても完璧な曲である。

名称 沢内甚句
発祥地 西和賀町沢内
歌詞

沢内三千石 お米の出どこ
(ハイハイトキタサ)
つけて納めた コリャお蔵米
(ハイハイトキタサ)

名称 正調沢内甚句
発祥地 西和賀町沢内
歌詞

沢内三千石 お米の出どこ
(ハイハイトキタサ)
つけて納めた コリャお蔵米
(ハイハイトキタサ)

大信田歯朶の中 貝沢野中
まして大木原 嶽の下

沢内三千石 お米の出どこ
桝ではからねで
箕ではかる(身で代る)

月の夜でさえ 送られました
一人帰らりょか この闇に

沢内三千石 所の習慣
姉が妹の 仲人する

甚句踊の 始まる時は
へらも杓子も手につかぬ

甚句踊るより 泣く子をあやせ
親じゃなければ あやされぬ

踊り踊るべと けえもち鍋まけた
へらでさらねで 手でさらた

沢内さんさ踊り唄

特徴

 盛岡市周辺の「さんさ踊り」とは太鼓の打法が異なり、肩から斜め前につるして片面を打つ。響に迫力はないが、掛け唄の種類は多い。昔は「沢内甚句」同様、各村落ごとに節が違っていたが、最近は統一された。

名称 沢内さんさ踊り唄
発祥地 西和賀町沢内
歌詞

さんさ踊らば品良く踊れ
品の良いのをサンサ嫁に取る

さんさ踊りの始まる時は
へらも杓子もサンサ手につかぬ

馬コ売ったとて渡されよか手綱
振向く馬コはサンサ涙声

馬に惚れても馬喰さんに惚れな
縞の財布がサンサからになる

銭コ取たとて渡されよか手綱
振り向く馬コはサンサ涙声

盆の十三日法会する晩だ
あずきこわめしサンサ豆もやし

私しゃ音頭取って踊らせるから
夜明がらすのサンサ渡る迄

こよい踊りにあの子を招く
明けりゃ黄金のサンサ穂が招く

揃うた〜よ踊り子が揃うた
秋の出穂よりサンサ良く揃た

沢内相拳(あいけん)節

特徴

 江戸時代末期の花柳界ではやった、三味線、太鼓、お囃子つきの「藤八拳」という「じゃんけん」の一種のお囃子唄。全国でも珍しいもの。曲調は「アイヤ節」調だが歌詞が他所に似たものがなく、おそらく明治以後にこの地に入ってきたものと考えられる。地元には唄は伝わっているが、拳の遊び方は伝わっていない。別名「相子節」とも呼ばれる。

名称 沢内相拳(あいけん)節
発祥地 西和賀町沢内
歌詞

ハァヨイコラ〜ヨーイトセ
ハァドンドンスメスメシャーントセ
ハァまたもきてはシャーントセ

相けん相けんと 勝負はつかぬ
勝負わからぬ 夜明けまで

相けん踊りなら 負けてもよいが
真剣勝負なら 負けられぬ

浮世離れた 牧場の小屋で
牛と添い寝の 草枕

けんかに負けても
酒さえのめば
さほど恥には なりゃしない

来たて顔みせ 帰るて泣かせ
ほんに貴方は 罪な人

折れぬ花とは そは思えども
一枝折りたや あの花を

しょがこ節

特徴

 旧盛岡藩領の代表的な盆踊り「さんさ(参差)踊り」の掛け唄として伝えられてきたもの。盛岡市周辺では村落ごとに「さんさ踊り」の踊り方や掛け声に独自の工夫を凝らしていたので、その一つと思われる。「しょがこ」とは女性の名と言われているが、由来は明らかでない。

名称 しょがこ節
発祥地 盛岡市玉山区
歌詞

しょかこ〜とヤエ名を
よんでたもれナヤーエ
わたしゃしょがやの
ナーハ孫嫁だナ
サエーショーガエー

しょがこ〜とヤエ名を
よんでたもれナヤーエ
しょがこ嫁に呉で
ナーハ手をただえたナ

しょがこ〜と
呼ばるる時ァよかった
しょがこ嫁に
呉で子コァ出来た

名称 発祥地
ナニャドヤラ 旧盛岡藩領一帯
南部盆唄 旧盛岡藩領一帯
地蔵泣くベァ 旧盛岡藩領一帯
ざっさか踊り唄 奥州市水沢区、奥州市江刺区
新米節(豊年踊) 宮古市
南部甚句 旧盛岡藩領一帯