
| 読み仮名 | ぶがくめん |
|---|---|
| 指定種別 | 県指定文化財 |
| 種別 | 彫刻 |
| 指定年月日 | 平成7年9月1日 |
| 数量 | 1件10点 |
| 所在地 | 二戸市浄法寺町御山字御山久保 |
| 所有者 | 天台寺 |
| 管理団体 |
概要
古代芸能として、伎楽よりやや遅れて入ってきた舞楽は、主として中国大陸、朝鮮半島で流行していた音楽とそれにともなう舞に用いられる仮面であるといっていい。
それぞれの発生地は確認しにくく、そのなかには朝鮮半島や中国大陸を越え西域や南方におよび、さらにその源流をインドに求めることのできるものも少なくない。
それに舞楽のなかにはわが国古来の久米舞とか倭舞や各地の農村における五穀豊穣祈願のための五節舞また東国地方の東遊(あずまあそび)などが組み込まれ、伎楽や後の能とは異質な面と舞をもっていることに特徴がある。
舞楽は一般に、優雅な文舞(ぶんまい)と勇壮な武舞(ぶのまい)活発な所作のともなう走舞(はしりまい)、さらに童舞(わらべまい)の4種にわけられる。
しかし、このうち仮面を用いるものは走舞と武舞の一部で、普通の人間の顔では表し得ない場合のみに限られている。
仮面には悪霊を打ち払う高い超能力をもった人物としての期待が込められている。
そうした威神力への期待が外来面の導入によって一段とたかめられることとなったであろう。
すでに奈良時代から伎楽とともに演じられてきたものが多く、平安時代に伎楽がすたれると、舞楽は宮廷をはじめ神社・寺院楽としての盛期を迎え、それが地方寺院へも伝播し、全国にその遺品の分布をみるに至ったわけである。
天台寺に残る十面は、同時期一具のものではなく、かなりの時間差のある遺品といっていいが、散手や貴徳が悪霊除けの神の面として伝えられてきた歴史から考えると、そうしたものを含む本寺の作品は数の上でも地方では珍しく、またそれぞれが民俗芸能との習合を示す作面上の特色をみせていて、舞楽面のわが国における展開を考察する上で貴重な遺品であるということができる。
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