読み仮名 | よしだけもんじょ |
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指定種別 | 県指定 |
種別 | 古文書 |
指定年月日 | 1995年 4月 28日(2016年4月15日 一部指定解除) |
指定詳細 | |
数量 | 141点 |
所在地 |
陸前高田市高田町字並杉300番地1(陸前高田市立博物館)
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所有者 | 個人 |
保持団体 | |
管理団体 | |
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概要
吉田家は元和6年(1620)に仙台藩気仙郡上有住村より今泉村に移住したと伝えられている。
当家伝来の「伊達政宗黒印状」(元和6年極月3日)や「気仙郡今泉村風土記御用書出」(安永6年、1777)によると、元和6年、吉田宇右衛門(筑後)が藩祖政宗によって気仙郡の大肝入に任命されている。
こうして吉田家が気仙郡大肝入に就任することになるが、特に明暦2年(1656)〜延宝3年(1675)〔矢作久右衛門〕と元禄7年(1694)〜宝永2年(1705)〔松坂十兵衛〕の両期間を除き、宝永2年以降は明治2年(1869)に至るまで連綿としてその職を世襲してきた。
まさに気仙地方きっての名家であり、現在は「大庄屋」(明治3年8月改称)と愛称されている。
ところで、仙台藩の地方支配機構は郡奉行−代官−大肝入−肝入−となっており、村役人としての大肝入はほとんど世襲制であった。
この大肝入は代官区内の肝入、検断を指揮し、主として租税の取りまとめと納入事務を司った。
このほかでは肝入の進退を具申し、郡村の諸経費を割り付け、軽犯罪の処分、庶民犯罪者の下調べを行う権限をも有していた。
一方、給料として藩より高5貫文の土地、あるいは年金5両が支給され、ほかに3両以内の補助金を区域内から徴収することが認められており、さらには年貢諸役の免除、苗字帯刀御免、絹紬着用御免などの特権が与えられていた。
さて、大肝入を世襲して来た吉田家には、寛延3年(1750)から明治元年(1868)までの118年間分(このうち寛政11年、文化12年、天保元年の3カ年分を欠く)、合計95冊の「定留」がまとまって残っており、東山南方大肝入の白石家文書と共に双璧をなしている。
しかも、このような伝存形態は全国的にみても稀である。
2011年に発生した東日本大震災での津波により全ての文化財が被災したが、文化財レスキュー等多くの方々の尽力より改修され、岩手県立博物館及び国立国会図書館での修復の結果、2014年に修復が完了した。修復後の確認の結果、津波により一部文書が滅失していることが確認され、2016年に県文化財指定の一部解除による員数変更を行った。