![姉体庚申塔](/uploads/contents/archive_0000001194_00/001_00000585_1.jpg)
読み仮名 | あねたいこうしんとう(かんえいじゅうにねんめい) |
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指定種別 | 県指定 |
種別 | 有形民俗文化財 |
指定年月日 | 2013年 11月 5日 |
指定詳細 | |
数量 | |
所在地 | 奥州市水沢姉体町 |
所有者 | 個人所有 |
保持団体 | |
管理団体 | |
ホームページ |
概要
庚申信仰は、平安時代には中国から伝わったとされる長寿延命を祈る信仰である。60日ごとに巡ってくる庚申(かのえさる ※干支による日付)の夜、寝ている間に人中に潜む三尸(さんし)の虫が天に昇りその人の悪事を天帝に告げ、天帝はその罪の軽重に応じて、その人の寿命を決めるといわれたことから、三尸が脱出するのを防ぐためその日は眠らずに過ごすのである。
江戸時代には庶民にも普及し、60日という間隔も集まり易かったこと、また当時は寄り合いが禁止されていたことから、信仰を名目に庶民が堂々と集まれる貴重な機会として、庚申講が全国的に広まり、庚申の作善の記念として庚申塔が造立された。
本庚申塔は、庚申塔としては岩手県最古の寛永十二年(1635)の年号があり、東北地方の庚申塔では、山形県上山市の寛永5年塔に次ぐ2番目の古塔・古碑である。中世築造の伝来を持つ庚申塚を備え、頭部が尖る山形の姿や薬師如来を本地仏とする銘文など、江戸前期の特色をよく表している。ことに塚を備える庚申塔は、極めてまれで中世の庚申信仰を伺わせる貴重な例として注目されるものである。
また、和賀岩崎伍大院(北上市)文書(修験文書)中に庚申塔に刻まれた銘文とほぼ同文のものが発見されたこと、ほぼ同文の庚申塔が横浜市にも存在していることから、江戸前期に「庚申供養文」として全国的に流布していたと考えられる。