読み仮名 さんさおどり
指定種別 県指定
種別 無形民俗文化財
指定年月日 2011年 5月 10日
指定詳細
数量
所在地 盛岡市三本柳地域、盛岡市黒川地域、盛岡市山岸地域、盛岡市本宮地域
所有者
保持団体 三本柳さんさ踊り保存会、黒川参差踊連中、山岸さんさ踊り保存会、大宮さんさ踊り保存会(盛岡市本宮地域)
管理団体
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概要

さんさ踊りは、盛岡市と紫波郡が流布の中心地域であり、南は和賀、上閉伊、花巻、北上、江刺、遠野、釜石に、北は岩手、下閉伊、宮古の各郡市に伝播波及し広い地域で踊られてきた盆踊りである。
 発祥は近世初期の城下盛岡の都市形成期の頃と思われる。また、さんさ踊りの呼称は、菅江真澄の「鄙廼(ひなの)一曲(ひとふし)」(東国の民謡集)にその名が見られ、天明年間(1780年頃)には踊りの芸能化が進んでいたことが知られる。
 踊りの様式は、日本の盆踊りに見られる右回りの輪踊りで、胸に締め太鼓をつけた太鼓打ちを先頭に、笛吹きと独特の手振りの踊り手が続き、輪の内側には一八という踊りの名手が先導役を務める。唄い手は輪の近くで唄い、掛け声は踊り手も一緒に掛ける。この太鼓打ちや笛吹きも一体となって踊る例は他に見られない。
 踊り形態は、初期の頃から慣習的に地域の神社境内や広場などの一定の場所に、老若男女が自由に集まって輪踊りに夜を踊り明かす、場所固定型といえるものであった。しかし、確固たる組織・伝承形態をもたずしだいに廃れ、現在に至っては一部の地域で、しかも数演目行われている程度の状況にある。
 一方近世後期に、場所固定型で踊っていた者の中から、踊り連中が編成され、旧の盂蘭盆に花笠や腰帯をつけ、地域の家々を回って踊り供養する形態が生まれた。この家回りから、さらに市街の中心地域に移動し、家毎に門付けして踊る町流しの踊り形態が生まれ、これらが現在に至っている。つまり組織化された踊り連中という団体によって、現在のさんさ踊りが伝承されてきたといえる。
 近世後期から明治初期にかけて組織化された団体で、三本柳さんさ踊り・黒川さんさ踊り・山岸さんさ踊り・大宮さんさ踊りは、古くからの踊り形態の変遷を辿り、現在に伝承してきた踊り連中の代表的な団体である。
 これらの団体は、古い芸態といわれる上下の手振りがみられ、甚句踊り、神楽、剣舞、田植踊り、しし踊り、よしゃれ踊り、囃子舞など地域の諸芸能の影響を受けて多様な手踊りの様式を生み、家回りや門付けに必要だった口上や祝福芸の囃子舞、折敷舞、万歳、甚句踊りなど演目を増やしてきた。また、さんさ踊り唄の歌詞はすべて七七七五の短詞型からなる近世歌謡調で、かつては即興での「掛け唄」の遺習もみられた。
 このようにさんさ踊りは、近世調の変化に富んだ踊りの内容を有するばかりでなく、家回りや町流しなど民俗的慣習を有する盆踊りとして地域的特色を良くあらわしている。

※写真上…大宮さんさ踊り、写真中…三本柳さんさ踊り、写真下…黒川さんさ踊り

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