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概要 | |
古墳は狄森と呼ばれる標高105mの等高線が通っている微高台地に位置している。 その周辺は丘陵のない一望の平坦水田地帯になっている。 昭和44年(1969)の調査では、古墳は3基認められた。 (この他、墳丘を失ったものが数十基あると推定されている。 )第1号墳は、東西約9m、南北約8m、高さは1.4mで平面はほぼ円形を呈している。 発掘調査は実施していない。 第2号墳は、墳丘が削平されており、周隍も明らかではなかった。 集中濫積している川原石の間から1個分の刀子が数片に破損して出土した。 この川原石は積石石室に使用され後世の濫掘・耕作などによって散乱したものと推定された。 第3号墳も、墳丘が削平されていた。 川原石のある個所を中心にトレンチを入れたところ東南方向で開口している長蹄形の周隍が確認された。 周隍の外径は東西で13m、北側の上幅1.54m、深さ0.94mであった。 本県の古墳文化を知る上で貴重である。 |