読み仮名 にっぺいいせき
指定種別 県指定
種別 史跡
指定年月日 1963年 12月 24日
指定詳細
数量
所在地 北上市新平
所有者 個人
保持団体
管理団体
ホームページ

概要

北上市江釣子の西北から東南に連なる新平丘陵上に位置している。
昭和32年(1957)および33年に調査され、周囲にV字状の空堀をめぐらし、内城に厩舎らしき掘立柱建物跡、南斜面に掘立柱建物跡・鍛冶場跡などが検出された。
また、土師器坏の底部に午らしい墨書銘のある土器も発見された。
このような発掘調査の結果から、この遺跡は古代の駅家跡と推定されている。
駅家は、伝馬による古代交通の駅の施設で、国司の管轄の下に人馬の継ぎ立てのほか、官吏に食事や宿を供するための厩舎・宿舎・米倉などが建てられていた。
駅制の創始は大化2年(646)で、延喜式の兵部省式諸国駅伝馬条には古代駅家は400以上記されており、県内関係では、磐井──白鳥──胆沢──磐基の駅家がみられる。
これらの駅家は延暦21年(802)の胆沢城築営直後とみられ、その2年後に胆沢城と志波城の間に1駅を置くことが許可されている。
磐井駅家は一関付近、白鳥駅家は奥州市前沢区白鳥、胆沢駅家は胆沢城跡付近、そして磐基はこの新平遺跡に擬定される。
古代駅家は、全国的に発見されているものが少なく、新平遺跡は歴史上重要な遺跡である。