読み仮名 | ふたご・なりたいちりづか |
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指定種別 | 県指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 1965年 3月 19日 |
指定詳細 | |
数量 | |
所在地 | 二子一里塚:北上市二子町高屋・村崎野、成田一里塚:北上市成田 |
所有者 | 北上開発公社 外 |
保持団体 | |
管理団体 | |
ホームページ |
概要
南部氏城下町盛岡と江戸とを結ぶ街道を「奥州道中」あるいは「奥州街道」という。
江戸〜白河(福島)間は江戸幕府の直轄で道中奉行が支配し、それより以北は領主に一任されていた。
この一里塚は、慶長9年(1694)の幕府命令によって築かれたもので、奥州街道筋に沿って盛岡から10里目にあたる二子塚、11里目の成田塚がそれぞれ街道をはさんで一対ずつ現存している。
高さは、二子塚東側2m50cm、西側2m30cm、成田塚東側3m20cm、西側2mである。
一対のものがちょうど一里(約4km)の間にともに現存しているところは全国的に例がなく、本県交通史のうえからも貴重な史跡である。
【写真】左上:成田一里塚 中央下:二子一里塚