読み仮名
指定種別 県指定
種別 史跡
指定年月日 2000年 11月 24日
指定詳細
数量
所在地 盛岡市大館町
所有者 盛岡市外
保持団体
管理団体
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概要

大館町遺跡はこれまでの調査によって、縄文時代草創期(約10,000年前)から平安時代まで長期にわたって利用されていたことが判明している。
とりわけ遺跡が最も拡大するのは縄文時代中期中葉〜後葉(約5,000〜4,500年前)であり、南北約250m、東西約200mの範囲に、約500棟の竪穴住居跡、約1,000基の土坑・墓坑が造られている。
この時期、岩手県内では大規模な集落遺跡がいくつか出現するが、なかでも本遺跡は最大級の規模を有しており、しかも継続して営まれている点に特徴がある。

 遺構については、中央の広場(墓域)を中心に、環状あるいは馬蹄形状に数多くの住居跡群がまとまりをもって分布しており、このことは東日本の縄文拠点集落の基本的な設計プランと共通している。
しかも、住居の建て替えに際し一定の規制が見られること、住居跡集中区域単位に貯蔵穴群などをもち完結する構成であることなど、縄文集落やその社会構造を検討する上で貴重な遺跡である。

 さらに、出土する土器が非常にしっかりしたデザインのもと製作されており、同一器種のバラエティが他の遺跡に比べて多様で量的にも卓越することなどから、北上川中流域北半部における土器製作の重要な発信基地であった可能性も指摘できる。
また、円筒式土器やその影響を受けた土器の存在は、この遺跡が広く東北北部と南部の文化接触地域の拠点的な集落であったことを窺わせる。

 以上のような遺構や遺物が広い範囲にわたっていずれもよく保存されており、北上川流域の縄文時代研究にとって重要な遺跡である。

(第5 史跡名勝天然記念物指定基準 史跡の部1該当)

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