盛岡藩の場合、南部氏の一族であった御家門、御三家をはじめ、千石以上の「高知(たかち)衆」は城の内丸に御殿御屋敷を構えて居住した。
これらの御屋敷は「表御門」築地をもち、茶事や能も可能なものであった。
高知以下は「平士」と呼ばれ、特に三百石以下の城下の平士屋敷は建物が30〜51坪、玄関は坪別に準じ目立たぬようにつくることを義務づけられた。
部屋の構成も家格によって大きく異なり、家格の低い屋敷では表書院・表居間・対面の間・使者役の間などの公用的屋敷や脇玄関などが省略されて少なくなり、内居間を中心に戸障子で仕切り、全体が寝部屋的な使われ方になっている。
県内の代表的な武家
城内諏訪小路
金ヶ崎町は江戸時代、仙台藩主・伊達氏の家臣の大町氏が正保2(1645)年に同町仮屋に城館を修復して移り、明治維新により幕藩体制が崩壊するまでの間、九代・227年にわたって支配していました。城内諏訪小路地区は当時の武家住宅が11棟、街路などもほぼ当時のまま残っています。平成13年6月に文化庁から「重要伝統的建造物群保存地区(伝建群)」として、県内ではじめて選定を受けました。


【所在地】 金ヶ崎町
関連リンク:

金ヶ崎武家屋敷マップ
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- 12.大松沢家
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- 15.鈴森家
- 16.曹洞宗泰養寺
同心屋敷
同心屋敷が置かれた向御組町(現在の桜町)は、花巻城の総外堀ともいうべき豊沢川の南に位置しています。
江戸時代の末期、安政5(1858)年の「向御組町付近図」によると、南北に走る奥州道中をはさんで、東西に15軒ずつ計30軒の同心屋敷が配されていました。
現在残っている同心屋敷は、旧平野家と旧今川家の2棟を昭和45(1970)年に花巻市が買い取り現在地に移築復元したもので、旧平野家宅はL字型、旧今川家宅はコの字型の建物です。ともに花巻市指定文化財です。


【所在地】 花巻市