町村名の由来をご紹介します。町村によっては、複数の説が存在しますので、その場合はすべての説を掲載しています。

雫石(しずくいし)町

由来

中世時代は「滴石」と呼ばれたところで

  1. 「沈く石(シズクイシ)」で雫石川や葛根田川などにシズク(沈む)イシ(石)で、川底に石が多いところ
  2. 「滴石」は雫石神社の湧き水「たんたん」にちなむ

葛巻(くずまき)町

由来

  1. 「葛牧」で葛(クズ)の生えた牧場
  2. 「葛蒔」で傾斜地を崩し蒔きした焼畑のこと

岩手(いわて)町

由来

「盛岡市三ツ割の東顕寺(とうけんじ)に注連縄(しめなわ)が張られた三つの大石があり、この石は、岩手山が噴火したときにとんできた石といわれ「三ツ石様」と呼ばれて人々の信仰を集めていた。このころ、羅刹鬼(らせつき)という鬼が里人や旅人に悪さをするので、困りはてた里人は「三ツ石さま」に「どうか悪い鬼をこらしめてください」とお願いしたところ、たちまち三ツ石の神様が羅刹鬼を三つの大石に縛りつけてしまった。ビックリ仰天した羅刹鬼は「もう二度と悪さはしません。二度とこの里にも姿を見せませんからどうぞお許しください」というので、三ツ石の神様は「二度と悪さをしないというシルシをたてるなら」といわれ、羅刹鬼は三ツ石にペタンペタンと手形を押して南昌山の彼方に逃げ去った」という伝説から

滝沢(たきざわ)村

由来

滝のある河川

紫波(しわ)町

由来

歴史書には「子波」「斯波」「志和」もあり、

  1. 北上川流域の河岸段丘のツバ(崖)の転
  2. シボ(萎)んだ地形
  3. シワ(たわまって曲がったところ)
  4. 志和稲荷神社から
  5. 大和朝廷の勢力範囲のシハ(終末・末端)
  6. 志賀理和気神社の神号の略
  7. 「州曲(スワ)」で河川の氾濫原曲流地

矢巾(やはば)町

由来

  1. 前九年の役で、源頼義が安倍貞任を討つため矢をつくる矢羽根(ヤバネ)を集めさせたことから
  2. 「谷端場」「谷端間」の意味で、段差のある湿地の法面のこと

西和賀(にしわが)町

由来

金ヶ崎(かねがさき)町

由来

  1. 「矩(カネ)が崎」で、直角に曲がった州崎のこと
  2. 「川根が崎」の略で、扇状地の出崎

平泉(ひらいずみ)町

由来

  1. 「平」は斜めに平らな土地のことで、北上川氾濫原の平地、泉地
  2. 方言「ひら」泉で、逆芝山の山麓の清泉
  3. 伽羅御所などの奥御館の南隅に湧く平地の湧井

藤沢(ふじさわ)町

由来

  1. 黄海(きのみ)川や大平(おおひら)川のフチ(淵)サワ(深い沢)
  2. フチ(縁=崖下)の沢

住田(すみた)町

由来

1955年に旧「世田米(せたまい)町」と「上有住(かみありす)村」「下有住村」が合併した時、有住の「住」と世田米「田」を組み合わせたもの

大槌(おおつち)町

由来

  1. ツツ(包む)の意味で、崎に包まれた地、海浜のある地
  2. 大槌川・小鎚川流域の大きな川内(オホウチ・川流平野)で、小鎚は小さい川内
  3. 「津地(ツチ)」の意味で船着場
  4. 「辻(ツジ)」の意味で道の交差するところ

山田(やまだ)町

由来

  1. 「山」に方言の「たぁ(たわむ)」で、山に囲まれた窪地
  2. 「山端(ヤマハタ)」の略で、山のふもと

岩泉(いわいずみ)町

由来

岩の間から湧き出る泉

田野畑(たのはた)村

由来

  1. 畑のある土地
  2. 「撓(タ)わの畑」の意味で、盆地の畑のこと

普代(ふだい)村

由来

  1. 「二井」で2つの水流の合流地
  2. 「塞井」で砂州によって河口をふさがれた土地
  3. 方言「ふだい」からきたもので、家来分家の開拓地
  4. 「譜代」で、お譜代さまと呼ばれた三上氏にちなむ

軽米(かるまい)町

由来

  1. カルは「刈」で、焼畑用語からの崖の意
  2. カレ(涸)
  3. ガレ(崖地)の前、前方 またアイヌ語の
  4. カル・モイ(うねり曲がった流域)
  5. カル・オマイ(フキの葉がとれるところ・回り道のあるところ)
  6. 「離る間井(ガルマイ)」で水走り境の村落
  7. 「軽馬医」の意味で馬医がいたところ

洋野(ひろの)町

由来

  1. 「撓根津(タワネツ)」の転訛で、種市岳の裾野の舟繋場
  2. 「種井池」の意味で、種を漬ける流れや池
  3. 種子や種牡馬などを売る市がたったことから

野田(のだ)村

由来

  1. 村内を流れる宇部川、明内川流域の湿地・湿田のヌダ(沼田)が転じたもの
  2. 野のある土地
  3. 方言「のだ」で無風の波

九戸(くのへ)村

由来

平安時代、糠部郡を蝦夷から守るために四方に柵を設けて東西南北に門(もん・かど)を設けて番人を置いたが、のちにこの囲いの中で馬を育てるため、木戸(門)に一から九までの番号をふって一戸に一牧場を置く「九戸四門」制を採用したことに由来

一戸(いちのへ)町

由来

平安時代、糠部郡を蝦夷から守るために四方に柵を設けて東西南北に門(もん・かど)を設けて番人を置いたが、のちにこの囲いの中で馬を育てるため、木戸(門)に一から九までの番号をふって一戸に一牧場を置く「九戸四門」制を採用したことに由来