人首川左岸を進み、二股番所跡で人首川支流の山本川をさかのぼり種山七里塚に向かいます。宮沢賢治が「種山ヶ原の 雲の中で刈った草は どごさが置いだが忘れだ 雨あふる」と詠んだ種山高原は古くから付近住民の放牧地として利用されてきました。明治34(1901)年軍馬補充部六原支部種山出張所となり、現在は県営種山牧野としてのどかな風景が見られます。