種山七里塚から南に物見山を迂回しながら行くと仙台領と盛岡領の藩境(気仙と上閉伊郡の群境)に入ります。ここには藩境塚があり、「世田米村元禄絵図」(元禄12・1699年)によると夕日山の南に記されています。絵図にはこの道の他に姥石峠越えが描かれて「江刺市史2」には幹線・人首道(気仙道)として人首・木細工(きざいく)・姥石・世田米のルートを上げています。その途中の大股には、種山の豊富な木材資源を背景に明治末から大正中期に開発された栗木鉄山跡(県指定遺跡)があります。