旧道は国道の少し北側を松草(まつくさ)付近まで併走しています。この一帯は閉伊川の水源地帯で去石(さるいし)一里塚跡付近は「材木舗キ街道となす」(『宮古街道図巻』)と記されています。戦前は馬産の盛んな地区で軍馬補充部の田代出張所があり、戦後は開拓農家が入植し、高原野菜栽培などを営んでいます。