読み仮名 もとみやかんのんどう つけたり ずし
指定種別 県指定
種別 建造物
指定年月日 2019年 4月 16日
指定詳細
数量

1棟

1基

所在地 金ケ崎町西根
所有者
保持団体
管理団体 谷地下自治会
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概要

当該文化財は、金ケ崎町西根本宮に所在する本宮観音堂である。その創立は確たる資料を欠いているため詳らかではないが、宝暦13年(1763)の「風土記 西根村」や安永5年(1776)の「風土記御用ニ付書上控 西根村」などよると、源義家が安倍貞任との合戦の際に陣場として勝利を成し遂げたので勧進したとの記述がある。現在の建物は内部板壁に「元禄十六年」の墨書等があること、また、蟇股や木鼻などの建物の細部意匠の特徴から17世紀中頃に建てられたと推測される。

観音堂の構造形式は、桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、鉄板葺で正面をほぼ南面して建っており、四周に縁を回らせている。内部は正面柱筋から一間半後方位置に東西柱間一間とする円柱を二本立て、この後方全体を内陣としている。現在、内陣正面は腰壁上に格子戸嵌め殺し、両側面は前寄り一間幅を開放として内部後方に小規模な厨子を安置するが、当初の西面は全面を板壁とし東面は前寄り半間を板戸片引きの出入り口、後方一間を板壁とする閉鎖的な内陣構成であったことがその痕跡から認められる。

軒は一軒で、一本垂木間に二本と三本の吹寄せ垂木を交互に配した類例の少ない吹寄せ垂木形式の軒である。小屋組は全体に渡りほぼ当初材が維持されている。現在の屋根は昭和48年施工の鉄板葺であるが、それ以前は茅葺であったことが古写真から確認できる。

観音堂内部に安置される厨子は、桁行一間、梁間一間、一重、宝形造、板葺で、建物からは独立し、内部に本尊十一面観音菩薩立像を安置している。厨子の制作年代も詳細は不明であるが、軒の隅木と化粧垂木の隅から四本目までの部材の下端に比較的強い反りが施されている点は中世期的なものであるものの、全ての化粧垂木に強いそりが施されておらず、厨子全体を黒漆塗を主体とした黒色塗装で仕上げている点や、各構成部材の木割が規模の割に大きい点などから、江戸時代中期以前の製作になるものと思われ、本宮観音堂と同じ17世紀中頃と推定される。

本宮観音堂の特徴として、仏堂の中央位置に円柱を二本立て、桁行一間、梁間一間半規模の閉鎖的な内陣を室後方に設けている室構成は全国的に見ても珍しいものである。また、軒を事例の少ない吹寄せ垂木形式としている点や、内陣中央正面の部材構成法も異例である。特に、外陣、内陣の室構成は特異なものと言って良く、建築史学的側面のみならず、宗教史学的側面からも、重要かつ貴重な仏堂建築である。古式の軒形式をみせる内陣安置の厨子とともに、将来にわたり保存維持する必要がある建造物である。

 

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