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読み仮名 しほんちょしょくとうはちびしゃもんてんがぞう
指定種別 県指定
種別 絵画
指定年月日 2018年 4月 13日
指定詳細
数量

1幅

所在地 西磐井郡平泉町平泉
所有者 毛越寺
保持団体
管理団体
ホームページ

概要

本画像は毛越寺に伝来する、縦94.5cm、横37.3cmの楮紙に描かれた刀八毘沙門天である。

刀八毘沙門天は、左右に刀を八振り持つ異形の毘沙門天であり、主に戦国武将による軍神としての信仰が知られている。画像及び彫像の類例が全国で確認されているが、本画像はそれらの中でも、制作年が室町時代(15~16世紀)に遡る初期の作例として全国的にも貴重な存在である。

本画像の像容は、四面十二臂騎獅像であり、四面の配置は、正面と左右面、さらに正面の上に頂上面を置き、全て壮年の男性相で瞋怒(しんぬ)形に表わされている。正面と頂上面は閉口し、左右面のうち左面は開口する阿形(あぎょう)、右面は閉口する吽形(うんぎょう)で表わされる。

十二臂は順に、右第一手に鍵、左第一手に三弁宝珠(鍵と宝珠は宇賀弁財天の持物)を執り、右第二手に三叉戟、左第二手に宝塔(三叉戟と宝塔は毘沙門天の持物)を捧げる。残りの左右第三~六手には刀(刀は最勝太子の持物)を執り、左右第三~五手の刀は真っすぐに立て、第六手の刀は切っ先を下に向けている。

刀八毘沙門天の作例は現時点で、本画像を含め全国から12例が報告されているが、文献資料はさらに少なく、西教寺文庫(滋賀県)など3例が確認されているに過ぎない。さらに、独尊像の画像としては、本画像を含め全国で5点が確認されており、室町時代初頭の作例で最古例と見られる岐阜県の願成寺本に続く、同類の中でもごく早い時期の制作と考えられる。

 さらに、岩手県域に眼を転じると、平泉の2つの特色ある毘沙門天(多聞天)信仰が注目される。

まず、中尊寺大長寿院「金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図」(全10幀、国宝、12世紀)である。この画像では、毘沙門天(多聞天)の独尊像が描かれる他、四天王では多聞天(毘沙門天)像が前列に置かれ、とくに多聞天(毘沙門天)像が重要視されていたと思わせるものである。

次に、延暦20(801)年に坂上田村麻呂が百八体毘沙門天像を祀ったと伝わる達谷窟毘沙門堂が注目される。同堂安置像は秘仏であり、文献史料の明徴も欠くことから、現時点で寺伝を積極的に評価するには至らないが、平泉には、毘沙門天(多聞天)をとくに敬い、信仰に何らかの独自性を帯びていたのかとも想像させられる。

本画像は、奥州藤原氏滅亡後の新たな文化的、歴史的な営みの一端を窺わせる資料であり、世界遺産平泉の中世以降の様相を示し、かつ岩手県の歴史文化を知る上でも不可欠な存在といえ、その存在意義は看過し難いものである。

また、本画像は具色(中間色)を用いる点に当代の作風が顕著に表れ、生気の籠もった迫力ある表現など見るべき点も多くあり、仏画の全国的な編年に堪え得るとともに、岩手県域に伝わる仏画の基準的な作例と評価される点に意義がある。