更新日:2025年10月15日

読み仮名 はらけいにっき つけたり ぜっぴつめも ほんばこ
指定種別 県指定
種別 有形文化財(古文書)
指定年月日 平成30年4月13日
数量 日記 83冊  メモ 1点4枚  本箱 1台
所在地 盛岡市本宮(原敬記念館)
所有者 盛岡市
管理団体

概要

 当該物件は、盛岡市出身で大正7年に初の政党内閣を樹立した原敬の自筆日記と、大正10年10月26日以降11月4日の暗殺当日までの絶筆メモ、日記を収納し保存する本箱である。原の死後、盛岡に送られ古川端の別邸介寿荘の倉に秘蔵され、後に財団法人大慈会から盛岡市に寄贈された。現在は原敬記念館で保存されている。

日記は、美濃本明朝綴で表紙は和紙渋引に墨書、本文は和紙罫紙に墨書されており、明治8年4月14日から大正10年10月25日までの記事が記されている。若年の修業時代に始まり、立憲政友会総裁となり内閣総理大臣に就任し暗殺されるまでの詳細な内容である。明治29年7月の朝鮮特命全権公使赴任以降は毎日に近い形で記述されている。

立憲政友会総裁や内閣総理大臣時代のものは、日々の言動はもとより、公私の面談者との談話や閣議その他の会議内容など最高機密が克明に記されており、明治後期から大正期にかけての政情解明のみならず、政治家の思想や行動様式を理解する上で「第一級の貴重な資料」とされる。また記述の多くは政治家同士の会話で特に敵対する藩閥政治家との交渉は詳細で、公的記録にはあらわれない政界の裏面が書かれ、これほど政界の内情を細かく記した日記は他にないとされる。そのため、日本の近代政治史を知る上でも比類のない資料である。

「絶筆メモ」は、洋紙罫紙の裏に鉛筆書きしたもので、日記掲載内容以後の大正10年10月25日から暗殺当日の11月4日までの11日分のメモである。このようなメモをいつも取っていて、後に日記に清書した。日記の作成過程を示す資料としても貴重である。

「本箱」は、クスノキ製で防虫効果があると言われ、堅牢な鍵付きのもので密封性もあり、原自身の日記を後世に残そうという思いを伝え、また、資料の劣化を防ぎ今日までの保存に大きな役割を果たしている。

 「原敬日記」は、質量ともに類のない日本近代政治史の第一級資料であること、そして、原敬の生き方や行動に大きな影響を与えたのが岩手県出身という背景であり、その日記が郷里に伝存していることが大きく評価されるものである。

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