本名 後藤新平
生没年 1857-1929
職業 政治家
出身地 水沢市(現 奥州市)
記念館 水沢市立後藤新平記念館

解説

台湾総督府民政局長(のち民政長官)として民政統治の確立に努める。さらに満鉄の初代総裁として広軌鉄道施設・撫順炭砿開発・大連病院建設など満州経営の基礎を作る。1908年(明治41)第2次桂内閣に逓信相として入閣、新設の鉄道院・拓殖局の両総裁も兼ねる。1920年(大正9)東京市長に就任、いわゆる8億円計画という都市改造案を提案。山本権兵衛内閣の内相に返り咲き、関東大震災の復旧処理に当った。日本ボーイスカウト初代総裁。

写真提供:水沢市教育委員会社会教育課文化財係