更新日:2019年03月28日

本名 | 萬鉄五郎 |
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生没年 | 1885-1927 |
職業 | 画家 |
出身地 | 東和町(現 花巻市) |
記念館 | 萬鉄五郎記念美術館 |
解説
日本の前衛美術の先駆者となった画家。早稲田中学卒後短期渡米、帰国して東京美術学校に入学、当時の画壇の潮流を否定する「裸体美人」を卒業制作とした。卒業後、フォービスムからキュービスムへとヨーロッパの造形思考との対決を重ねながら日本人としての絵画を模索、転じて、南画研究を通して新たな境地をつかみ、反アカデミズムの立場を貫いたが、結核のため42歳で倒れた。西欧美術思潮に先行した制作は、死後50余年を経てようやく評価が定まった。