| 二子・成田一里塚 |
| ふたご・なりたいちりづか |
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| 南部氏城下町盛岡と江戸とを結ぶ街道を「奥州道中」あるいは「奥州街道」という。 江戸〜白河(福島)間は江戸幕府の直轄で道中奉行が支配し、それより以北は領主に一任されていた。 この一里塚は、慶長9年(1694)の幕府命令によって築かれたもので、奥州街道筋に沿って盛岡から10里目にあたる二子塚、11里目の成田塚がそれぞれ街道をはさんで一対ずつ現存している。 高さは、二子塚東側2m50cm、西側2m30cm、成田塚東側3m20cm、西側2mである。 一対のものがちょうど一里(約4km)の間にともに現存しているところは全国的に例がなく、本県交通史のうえからも貴重な史跡である。 【写真】左上:成田一里塚 中央下:二子一里塚 |
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