いわての鉱山史 いわての鉱山史イメージ
鹿角の金山・銅山
■金山から銅山へ  

 盛岡藩の産金は大部分が砂金で、鹿角においても最初に開発された白根金山では砂金が採掘されています。
 しかし続いて開発された西道金山をはじめ尾去沢の諸金山では、山の岩脈の中から金鉱として掘り出されています。尾去沢鉱山は山の表面近くに金や銀が、深部に銅の鉱石が多く存在していたので、最初は露頭(ろとう)状の鉱脈から金や銀が発見され、やがて鉱脈を追って坑道採掘が進められて銅鉱山として発展したと考えられます。
 尾去沢鉱山は大盛山(535メートル・大森山ともいう)を中心とする南北約3キロ、東西約2キロの山塊に多くの鉱脈がある鉱山です。昔の金山や銅山は大盛山を取り囲んで、東に西道・五十枚、南に赤沢・長坂・槙山、西に元山・田郡、北に崎山などの金山や銅山が開発されました。これらの鉱山は、それぞれ開発の年代も異なり、険しい山中にあったため、幕末までは別々の鉱山とされていました。
 マインランド尾去沢の南側、山頂に旗の立つ山を五十枚と言い、かつての五十枚金山の跡です。山名のいわれは、月に50枚の大判に相当する金(約8.3キロ)を、運上金として奉行所に収めたからと伝えられ、金山の繁盛ぶりを今に伝えています。しかし、鉱山全体の産金量については残念ながらほとんど解明されていません。


マインランド尾去沢
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