鉄の街・釜石の歴史は、安政4年(1858)12月1日に大島高任(おおしまたかとう)が、我が国初の洋式高炉による製鉄に、釜石・大橋地区で成功したことから始まります。
 明治6年(1873)、明治政府は大橋、橋野、佐比内、栗林にあった鉄山を工部省の所管とし、翌年には大橋鉄山のみが官営となり、明治8年(1875)には釜石村鈴子(すずこ・現在の釜石製鉄所の位置)が「鎔砿所、其他器械所建設ノ地」と定められました。同年から建設が始まった官営釜石製鉄所は製銑工場(25トン高炉2基、高さ18.3メートル)、練鉄工場などが建てられ、明治13年(1880)に操業を開始。ところが製炭場の火災による木炭の供給不足や、鉱滓が出銑口をふさぐなど操業が安定せず、釜石鉱山の鉄鉱石の埋蔵量も工部省から低く見積もられたことが重なり、明治15年(1882)に操業停止と廃山が決定してしまいました。
 また、操業開始と同じ年、鉄鉱石や燃料となる木炭の輸送用に大橋から釜石港桟橋までの18キロと、小川口から分岐する小川製炭場まで5キロの鉄道が敷設され営業を開始しました。この鉄道は新橋−横浜、大阪−神戸に次ぐ我が国3番目の鉄道となりますが、明治15年(1882)、官営製鉄所と鉱山の廃止とともに廃線となってしまいました。