昭和35年(1960)には、協力会社員も含め従業員数が1万2千人を超えた釜石製鉄所ですが、昭和37年(1962)の鉄鋼不況で40日間の高炉封印を行ったほか、東海製鐵㈱(現日本製鉄名古屋製鉄所)立ち上げに伴う配置転換の実施により、大規模な体質改善と合理化が進められていきます。

 昭和45年(1970)には、八幡製鐵と富士製鐵が再び合併して新日本製鐵となりますが、昭和53年(1978)の第1次合理化では主力の大形工場が休止となり、千葉県の君津製鉄所などへの配置転換が進められ、昭和55年(1980)には従業員数が3,312人となります。

 その後、新日本製鐵は八幡、名古屋、君津、大分への高炉集中と、室蘭(北海道)、釜石、広畑(兵庫)、堺(大阪)の一部または全高炉の休止を決定し、昭和60年(1985)の第3次合理化で第2高炉が、平成元年(1989)に第1高炉が休止となり、高炉から鉄をつくる銑鋼一貫製鉄所から、線材・エネルギー(IPP卸電力事業)工場の単圧製鉄所に変わりました。

 平成31年(2019)に新日鐵住金㈱釜石製鉄所、令和4年(2022)には日本製鉄㈱北日本製鉄所釜石地区と組織体制が変更されましたが、現在も特殊鋼線材のトップメーカーとして、国内外から先進技術が高く評価され続けており、令和8年(2026)には創業140周年を迎えます。