いわての鉱山史 いわての鉱山史イメージ
鉄の街・釜石
■合理化、高炉休止へ  

 昭和35年(1960)には従業員8,000人を抱える大工場となった釜石製鉄所は、昭和37年(1962)には鉄鋼不況によって40日間高炉封印を行ったほか、中型工場の廃止、7年間で1,700人を他製鉄所に配置転換などの体質改善・合理化を進めています。さらに昭和42年(1967)には1,000人に大規模人員削減を行い、八幡・富士の両社が再び合併して新日本製鐵となった昭和45年(1970)以降も合理化を進め、昭和50年(1975)には大型・線材工場の一時休止を行っています。このころの従業員は4,169人と15年間で半減、さらに昭和55年(1980)には3,312人となっています。
 円高と世界的不況で事態は好転せず、鉄鋼業は海外立地などで国内空洞化が進み、新日本製鐵は八幡・名古屋・君津・大分への高炉集中と室蘭・釜石・広畑・境の高炉休止を決定、釜石は線材工場のみ280人体制とすることが決まりました。平成元年(1989)高炉の全面休止によって、釜石製鉄所の歴史に終止符が打たれました。


現在の釜石製鉄所
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