本名 新渡戸稲造
生没年 1862-1933
職業 思想家
出身地 盛岡市
記念館 盛岡市先人記念館
花巻市(花巻新渡戸記念館)

解説

農・法学博士、貴族院議員、実践的思想家。教育者としての職歴は多彩で、特に1906年(明治39)東大教授と併任した旧制一高校長時代に特色を発揮、自由主義の逸材を輩出した。1900年英文で書いた『武士道』は日本民族の道義と倫理の根本を実証、欧米の指導層・知識階層に愛読された。『われ太平洋の橋とならん』は西洋の文明を日本へ、日本の文化を西洋へが新渡戸の悲願であった。思想家・国際連盟事務次長として、この悲願を実践したが、満州・上海両事変は新渡戸の思想と実践に大きな苦悩を与え、カナダ・ビクトリア市にて客死。

写真提供:盛岡市先人記念館