いわての住まい いわての生活文化


        
■葛西萬司(かさいまんじ)(1863-1942) 
       
  文久3(1863)年、盛岡藩家老の鴨沢舎の二男として盛岡に生まれ、後に葛西家に養子に入る。
12歳で上京し、慶應義塾、第一高等中学校(大学予備門) を経て東京帝国大学工科大学造家学科を卒業。
恩師であり、わが国の建築学の始祖といわれる辰野金吾とともに明治36(1903)年に辰野葛西事務所を設立し、日本銀行本店(旧館)・旧国技館・東京駅・女子学習院・盛岡銀行本店(現岩手銀行中ノ橋支店)・盛岡貯蓄銀行(現盛岡信用金庫本店)、旧盛岡劇場など県内外で多くの近代建築設計を手がけた。
葛西萬司肖像写真
      
  [太幸邸(だいこうてい)] (設計が葛西萬司という説があります。)
  太田家の当主が初代から四代目まで幸蔵、五代目は幸五郎と名乗っていたため、「太幸邸」と呼ばれ地域の人々に親しまれています。
明治25(1892)年に四代目幸蔵が建てた総二階の土蔵、明治43(1910)年に五代目幸五郎が建てた近代和風建築の主屋、および13年かけて大正15(1926)年に六代目幸郎が一関の庭師(和田清作)に造らせた庭園、大正8(1919)年に盛岡銀行前沢支店開業に備え建築された旧銀行、表門、前座敷、炊場、西側の塀の7棟が、岩手県指定有形文化財となっています。庭園には、樹齢450年と推定される岩手県屈指の梅の古木があり、今も春には可憐な花を咲かせます。事前に所有者に連絡し許可を得れば、庭園を見学できます。

太幸邸  太幸邸
太幸邸  【所在地】奥州市

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