盛岡城下から荒屋(あらや)・田山を経て鹿角(かづの)に至り、さらに現青森県の田子(たっこ)・三戸に至る道筋を、鹿角道・鹿角往来と称しました。鹿角街道は、鹿角郡において慶長初期(17世紀初頭)以降金山開発が興ったことを契機として整備され、その後も尾去沢(おさりざわ)銅山と城下を結ぶ重要な街道で銅の道でもありました。奥羽分水領を越えて東西を結び付ける鹿角街道の歴史は古く、街道沿いには中世以来の遺産が数々あります。また秋田・盛岡両藩が境を接した地域のため、藩境守備の役割を担い重臣が配置された十二所(大館市)・花輪(鹿角市)には

城館跡や寺社等歴史的遺産も多くあります。