吉里吉里善兵衛

解説 吉里吉里善兵衛墓所
吉里吉里善兵衛墓所
 前川家が吉里吉里に移り住んだのは近世初頭、生産地の商人として活躍し始めるのは初代甚右衛門(じんえもん)の晩年と考えられています。二代善兵衛富永(とみなが)の代の元禄時代になると廻船問屋(かいせんどんや)として台頭し、閉伊(へい)地方の魚類・塩・大豆・小豆などを他藩に移出するようになります。享保時代には三代善兵衛助友(すけとも)が活躍、四代善兵衛富昌(とみまさ)の時代に全盛期を迎え、特権御用商人として7,000両の御用金を藩に上納しています。しかし明和6(1769)には長崎俵物代金700万両の支払延期問題が発生。これを契機に前川家の経営は不振に陥り、天明元(1781)年には閉伊地方の俵物集荷は宮古の和泉屋に交代となり、前川家は没落しました。




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