縄文時代の祭祀・呪術・信仰などに関連した宗教的遺物が「土偶(土版)」「岩偶(石版)」「石棒」「石刀」「石冠」などです。土偶に代表される土製品にはポーズや表情などに具象的表現と抽象的表現があり、特に後者は顔面の目・口・鼻などや身体の一部が強調または省略されることで、その印象を強くします。一方、石棒に代表される石製品は石材を磨いてつくりあげる特徴をもっていますが、使用形態は不明な点が多い出土品です。
 岩手県最古の土偶は、縄文時代前期(約5000年前以前)中葉の一関市の杉則(すぎのり)遺跡から出土した板状の土偶で、全長8.7センチの小土偶です。頭部や手足は省略された形ですが、胸のふくらみ、腰のくびれから女性であると考えられます。  土偶の出土が多いのは縄文時代後期(約3000年前以前)からで、平泉町の新山権現社(しんざんごんげんしゃ)遺跡からは239点の土偶が出土しています。後期の土偶の基本形は顔面逆三角形状で、胴長・短足に肩が張る怒り肩です。前半期はこれに顔と首が前に突き出た姿をとり、粘土板を芯としていますが、後半期になると首が突き出た姿はなくなり胎内中空の土偶が登場、人体的表現が豊かになります。さらに後期は、ひも通し穴がある口・耳・鼻形土製品なども見られ、ひもで縛って顔を形作ったと考えられます。
 縄文時代晩期(約2300年前以前)前半の一戸町(いちのへちょう)・蒔前(まくまえ)遺跡から出土した土製仮面は全長17.7センチの我が国最大のもので、鼻筋が左に曲がっていることから「鼻曲り土面(どめん)」と呼ばれています。左右にひも通し穴があり、仮面として使われていたものと考えられます。
 さらに、縄文時代晩期(約2300年前以前)を代表する土偶に「遮光器土偶」があります。この土偶は顔面の大半を「遮光器」状の丸い目が占め、目と目の間には輪のような鼻と口が表現されています。二戸市の雨滝(あまたき)遺跡から出土した土偶は全長23.5センチ、頭部は山形状の装飾、顔面朱塗りで、晩期前葉を代表するものです。晩期中葉になると頭部は王冠状になり、肩や腰幅が広く、また寸法も大きくなります。盛岡市の手代森(てしろもり)遺跡から発掘された土偶は全長31センチと大型のもの。頭部・右腕部・胴部がそれぞれ60センチ離れて出土しました。他の遺跡でもこのように離れた場所から出土する例があり、宗教行事後の廃棄形態を表していると考えられます。