場所

金ヶ崎町西根字鳥海

現在の名称

鳥海柵跡

地勢と遺構

胆沢川の北岸、遠く胆沢城を南に望む金ヶ崎段丘上に位置する。標高は60メートルほどの平坦地で、東西約300メートル、南北150メートルほどで、周辺には小谷がいくつかあり、一部に空堀が認められる。発掘調査の結果、掘建柱建物(ほったてばしらたてもの)跡、竪穴式住居跡、焼土遺構などが発見されている。

歴史

鳥海柵は安倍氏の主城の一つで、安倍貞任の弟・宗任(むねとう・鳥海三郎)が守っていた。『陸奥話記』によると、前九年の役・衣川の戦いに勝って一気に北に進んだ総大将・源頼義が「頃年鳥海柵の名を聞き、その体を見ること能わず、今日初めてこれに入ることを得」(鳥海柵の名前を聞いてはいたが、かつてはその姿を見ることすらできなかった。今日初めて入城することができた)とあり、戦略上の重要拠点であったことを表している。

交通

金ヶ崎駅から車で約10分