更新日:2022年02月22日

読み仮名 | なんぶりょうだてりょうさかいつか |
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指定種別 | 国指定 |
種別 | 史跡 |
指定年月日 | 2000年 1月 31日 |
指定詳細 | |
数量 | |
所在地 | 北上市、金ヶ崎町 |
所有者 | 北上市外 |
保持団体 | |
管理団体 | |
ホームページ |
概要
寛永19年(1642)、徳川幕府の裁定により、南部・伊達の両領境界が決定されたことを受け、奥羽山脈駒ヶ岳(おううさんみゃくこまがたけ)山頂から太平洋唐丹湾(とうにわん)に到るおよそ130kmに及ぶ境界線上に築かれた境塚。
塚は、大塚(おおづか)と小塚(こづか)があり、寛永19年に大塚が築かれたのち、元禄(1688〜)までに大塚の間に小塚が築かれたようである。
他に、特に重要な地域では相対する挾塚(はさみづか)も築かれている。
境塚そのものは各地にみられるが、全国に類を見ない大規模な境界施設であり、徳川幕府草創期からの東北地方の政治的緊張状況を示す貴重な遺跡である。
指定地域は、北上市、金ヶ崎町内の約11kmで、この間、大塚17、挾塚2、小塚198ほどを数える地域である。