
読み仮名 | おくのほそみちのふうけいち きんけいさん、たかだち、さくらやま |
---|---|
指定種別 | 国指定 |
種別 | 名勝 |
指定年月日 | 2014年 3月 18日 |
指定詳細 | |
数量 | |
所在地 | 西磐井郡平泉町平泉 |
所有者 | 平泉町及び個人(金鶏山) 岩手県、平泉町及び個人(高館)、平泉町(さくら山) |
保持団体 | |
管理団体 | 平泉町 |
ホームページ |
概要
松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)(1644~1694)は、「俳聖」とも称された日本の代表的な俳諧師である。芭蕉は往昔の歌人であった能因(のういん)・西行(さいぎょう)などの古歌にまつわる歌枕の名所及び由緒・来歴の地を訪ねて陸奥・北陸路を旅し、自らの俳句のみならず、同道した弟子の曾良(そら)の俳句をも織り交ぜ、紀行文学の傑作である『おくのほそ道』を完成させた。芭蕉と曾良が訪ね、『おくのほそ道』又は『曾良(そら)旅(たび)日記(にっき)』に書きとめた場所、2人が俳句を残した名所及び由緒・来歴の地の多くは、近世・近代を通じて広く鑑賞の対象として知られるようになり、往時を偲ぶよすがとなる優れた風景を今に伝える。それらは、すべて『おくのほそ道』というひとつの作品を通じて後世の人々の風景観に影響を与え続け、今なお『おくのほそ道』の時代の雰囲気と遺風を伝える。同時に、変わらずに残されてきたものと移ろいゆくものとを同時に捉えようとした芭蕉の「不易(ふえき)流行(りゅうこう)」の精神を表す場所であり、個別に評価するとともに相互の繋がりのあるものとして評価すべき一帯の風致景観である。
芭蕉は、旅の第一の目的地であった松島を訪れた後、平泉において奥州藤原氏の旧跡に接し、その深い感慨を「三代の栄耀(えよう)一睡の中(うち)にして」と記し、変わらずに形姿をとどめる「金鶏山」と移ろいゆく「高館」からの風景との対比を「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」の句に込めて詠んだ。
標高98.6mの秀麗な円錐形の「金鶏山」は奥州藤原三代が築いた北の都の中心を表す象徴的な存在であり、北上川河畔の小丘陵である「高館」は藤原三代秀衡を頼って奥州へと落ち延びた源義経の居城があったと伝えられる場所である。
「高館」からは、対岸の「さくら山」を眺望することが出来る。駒形峰から南の束稲山へと連なる山域は、西行の古歌を通じて吉野山にも比肩する桜花の明所として著名となり、広く「さくら山」の名が普及した。
平成26年3月18日 13箇所指定のうち、平泉町「金鶏山」及び「高館」が指定。
平成26年10月6日 5箇所追加指定。
平成27年3月10日 6箇所追加指定のうち、平泉町「さくら山」が追加指定。
金鶏山(上)さくら山(下)写真提供:川嶋印刷㈱
画像

