
読み仮名 | ちゅうそんじけいだい |
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指定種別 | 国指定 |
種別 | 特別史跡 |
指定年月日 | 1979年 5月 22日 |
指定詳細 | 平成16年9月30日追加 |
数量 | |
所在地 | 平泉町平泉中尊寺 |
所有者 | 中尊寺 外 |
保持団体 | |
管理団体 | |
ホームページ | 平泉の文化遺産 |
概要
中尊寺は平泉町の北端、衣関にあり、境内は関山と呼ぶ丘陵全域を占めている。
寺伝によると、嘉祥3年(850)慈覚大師によって開かれ、当初、弘台寿院と呼ばれていたが、貞観元年(859)に清和天皇から「中尊寺」の名を贈られたという。
初代藤原清衡が中尊寺造営に着手したのは、中尊寺文書「建武元年八月大衆訴状」と康永2年7月銘の現存中尊寺梵鐘銘によれば、長治2年(1105)である。
堂塔建立の趣旨は大治元年(1126)の「落慶供養願文」に述べ尽されている。
この供養願文によれば、中尊寺伽藍は3間4面檜皮茸堂1宇(左右に22間の廊)・三重塔婆3基・二階瓦茸経蔵1宇・二階鐘楼1字・大門3字、築垣3面・反橋1道・斜橋1道10間となっている。
また往時の中尊寺を記す文献として『吾妻鏡』、前記の大衆訴状があるが、記載内容は一致しない。
昭和28〜43年(1953〜1968)に発掘調査が実施され、大金堂跡・多宝塔跡・大池跡・三重池跡・古経蔵跡等多くの遺構が検出されたが、必ずしも文献と一致していない。
中尊寺は藤原氏を失ってから衰退し、特に建武4年(1337)の野火で堂塔のほとんどを焼失、当時の建物は金色堂と経蔵を残すだけとなったが、中尊寺経や一字金輪坐像など多数の国宝・重要文化財を有している。