胆沢地方の要地水沢は中世期から発達した小城下町です。水沢が一地域の名称として代表的に称される契機となったのは、寛永6(1629)年に当地に封ぜられた留守(るす)氏(水沢留守氏初代宗利(むねとし))が代々居館とした施設名により、これが仙台領では水沢要害、水沢館と呼ばれました。留守氏240年間の居館跡には、姥杉が唯一当時の面影を今にとどめています。奥州市水沢区はまた、「偉人のまち」として知られ、高野長英旧宅、後藤新平旧宅の保存と高野長英・後藤新平・斎藤實(まこと)の3記念館が建設され、遺品や歴史資料が保存されています。国立天文台・水沢観測センターには「Z項」の発見者、初代所長木村栄(ひさし)の記念館もあります。