盛岡城下を過ぎると奥州街道は高い山間を北上し、道幅も狭くなります。南奥州などに比べると宿駅の間隔が倍近く長くなり、「渋民町造なれど家並よろしからず、酒屋家よし、駅所のためによき酒屋なり」(『北奥路程記』)と宿場で酒屋は良いが町並みが悪いと記されています。渋民は明治22(1889)年、町村制施行により渋民村となり、昭和30(1955)年玉山村に合併、さらに平成17(2005)年に盛岡市に合併しています。