旧道は猿ヶ石川を渡り愛宕神社下を通り、遠野の入口下組町の舛形(ますがた)に入ります。柳田国男が「山奥には珍しき繁華の地なり」(『遠野物語』)といい、谷文晁が「遠野入口松並木、・・・町家数丁アリ、中々五六万石ノ城下位也」(『懐日記』)と記した遠野は、中世末に阿曾沼(あそぬま)氏滅亡後の寛永4(1627)年八戸より南部氏が移され居城とした城下町です。