洋野町粒来(つぶらい)から海沿いを北上し、小子内(おこない)、大谷(おおや)鉄山からの鉄の積出港の八木等を経て、「右ハ八戸道 左ハ山道」と刻まれた鹿糠(かぬか)の道標(嘉永4・1851年建立)に達します。