秋田街道の起点は盛岡城下の鍛冶丁(紺屋町5・ハイツグリーンゲーブルス前)の元標で、同時に鍛冶丁は、盛岡藩領内の街道の起点となっていた場所です。藩政時代、上の橋から中の橋にかけて、中津川東岸に沿って上流の方から紙丁(町)、鍛冶丁(町)、紺屋丁(町)という一続きの大きな町並みがつくられ、城下の老舗豪商が軒を連ね、盛岡城下における主要な商店街となっていました。現在も残る「茣蓙九(ござく)」の建物が当時をしのばせます。