街道は中の橋から日影門(現在の北日本銀行本店周辺)を通って、夕顔瀬橋に至ります。明暦2(1656)年に架設された夕顔瀬橋は盛岡城下の北の玄関口で、藩は材木町に惣門を設け、御番所を置いていました。また、橋を渡った新田町(しんでんちょう)には枡形(城の一の門と二の門との間の広く平らな正方形または長方形の地。敵の進む勢いを鈍らせる役割をもつ)がありました。