中世期には滴石(戸沢)氏の勢力下にあった雫石には滴石(雫石)城がありました。戸沢氏が滅亡した天文9(1540)年以降、高水寺(紫波町)の斯波氏の一族が一時占拠しますが、天正14(1586)に三戸南部氏が攻略し、天正20(1592)年に城は破却、藩政時代には盛岡藩の雫石通代官が置かれました。