更新日:2025年06月30日
読み仮名 | たしろねんぶつけんばい |
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別名 | |
指定種別 | 県指定無形民俗文化財 |
指定年月日 | 令和2年11月13日 |
所在地 | 宮古市区界地区 |
保持団体 | 田代念仏剣舞 |
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概要
田代念佛剣舞は、宮古市区界(旧川井村)に所在する民俗芸能で、主に盆供養として毎年8月15日に行われている。
成立時期については、文化年間(1804~1817)に田代村の去石仙仁門が仙台七木田(七北田か)の酒屋に出稼ぎに行っていた最中に習い覚えて巻物を授与されたとの伝承がある。戦時中でも盆供養だけは欠かすことなく行っていて、さらに、戦後早くから盛岡市で発表会を行うなど精力的に活動を行い、現在に至っている。過疎化が著しい地域ではあるが、地元の小中高生を中心に毎週継続して練習を行いその継承に努めているほか、保存会が地域行事を主催するなど、地域の核となって活躍している。芸態としては、太鼓、笛、鉦による 囃子と扇などの道具を持った踊り手により構成され、芸能 の内容は、 回向(供養)を目的とする儀礼的な「御墓踊」と、円陣となって踊る「剣舞」とに大別される。御墓踊は、渋草沢地区の田代念佛剣舞供養塔(昭和51年10月建立)前や去石地区の剣舞創始者の墓所で行われるほか、初盆の死者の墓前で門打ちとして 欠かさず行われている。 門打ちの後には、保存会員による「巻物開き」が行われる。このように、昔からの一連の儀式・儀礼を継続・保存しているものである。剣舞は、御墓踊の後に行われるほか、主に巻物開きの後に地区の集会所で披露している。独特の太鼓の拍子、扇や長刀をまわしながらの踊りなど、道具の使い方にも高い技量が認められるほか、かつて10演目存在した中で、現在においても7演目を継承している。
同系統の念佛剣舞は、宮古、盛岡の各方面に成立しているが、その中において、宮古市岡村(現:箱石岡村 )や盛岡市銭掛(現:新庄字銭掛など が田代からの伝承とされるほか 、盛岡の大ケ生高舘剣舞が、長期にわたる休止期から再開する際に田代から教わったとするなど、芸能を通しての周辺地域との多くの関わりがなされている。