更新日:2025年08月13日
読み仮名 | もうくさしょうたいこねんぶつ |
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別名 | |
指定種別 | 市指定・無形民俗文化財 |
指定年月日 | 令和2年8月19日 |
所在地 | 一関市舞川 |
保持団体 | 舞草鉦太鼓念仏保存会 |
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概要
「奥州合戦で死者は北上川に投げられ、舞草の地には屍が重なり、首川原ができていた。日夜、亡霊がさまよい旅人は恐れて通れなかったが、たまたま通りかかった畠山重忠が、守護神である薬師如来を祀り、南無阿弥陀仏と唱えたところ次第に亡霊が成仏した。これがその念仏の始まり。」と伝え、また日向屋敷の惣太郎が鉦、笛、太鼓、舞踊を振付け、「惣太念仏」といわれ舞草地区に広がり、供養の行事としてきたという。文久3年(1863)から称名師(しょうみょうし)を引き継ぐ文書があり、現在は9代目である。
称名と笛、側(鉦とささら)を大人の男性が担当し、女児が浴衣に花笠をかぶり、打敷で顔を隠して太鼓を打ちながら踊る。
主な公演場所
舞川地区内の新盆の家や墓地(8月)。