| 九戸城跡 |
| くのへじょうあと |
|
|
| 九戸城は、南部氏一族第一の大身である九戸政実の居城であった。 南部氏宗家の後継者問題から26代南部信直と対立、天正19年(1591)信直の援助要請による豊臣秀吉の派遣軍蒲生氏郷・浅野長政らに包囲され、攻防戦の結果落城し、政実は処刑された。 この合戦の後、南部信直はこの城を修理し、青森県三戸から移り居城とした。 盛岡城築城後は城代を置いたが、寛永11年(1634)破却廃城となった。 九戸城は、西・北・東はそれぞれ馬淵川・白鳥川・猫淵川の深谷に囲まれ、南は浪打峠の険を控え、空濠を掘り、本丸・二の丸・松の丸・若狭館・石沢館からなった山城から平山城に移る過渡期の城で、東北地方まれにみる大規模なもので、当時無類の城郭であった。 現在は、堀・塁・石垣の跡を残している。 九戸城は、豊臣秀吉最後の合戦の場となったところであり、この戦を最後に奥州地方が平定され全国統一がなしとげられた歴史的遺跡である。 |
|
|