文化財情報  詳細
吉田家文書
よしだけもんじょ
指定種別 県指定
種別 古文書
指定年月日 1995年 4月 28日
数量 定留 95冊 定留頭書(目録)2冊 伊達政宗黒印状など24冊 計121冊 他に 文政期の気仙郡村絵図23点 幕末の藩主出馬宿絵図など6点 計29点 
所在地 陸前高田市気仙町字町裏 陸前高田市図書館
所有者 吉田 裕
保持団体
管理団体
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概要
吉田家は元和6年(1620)に仙台藩気仙郡上有住村より今泉村に移住したと伝えられている。
当家伝来の「伊達政宗黒印状」(元和6年極月3日)や「気仙郡今泉村風土記御用書出」(安永6年、1777)によると、元和6年、吉田宇右衛門(筑後)が藩祖政宗によって気仙郡の大肝入に任命されている。

 こうして吉田家が気仙郡大肝入に就任することになるが、特に明暦2年(1656)〜延宝3年(1675)〔矢作久右衛門〕と元禄7年(1694)〜宝永2年(1705)〔松坂十兵衛〕の両期間を除き、宝永2年以降は明治2年(1869)に至るまで連綿としてその職を世襲してきた。
まさに気仙地方きっての名家であり、現在は「大庄屋」(明治3年8月改称)と愛称されている。

 ところで、仙台藩の地方支配機構は郡奉行−代官−大肝入−肝入−となっており、村役人としての大肝入はほとんど世襲制であった。
この大肝入は代官区内の肝入、検断を指揮し、主として租税の取りまとめと納入事務を司った。
このほかでは肝入の進退を具申し、郡村の諸経費を割り付け、軽犯罪の処分、庶民犯罪者の下調べを行う権限をも有していた。
一方、給料として藩より高5貫文の土地、あるいは年金5両が支給され、ほかに3両以内の補助金を区域内から徴収することが認められており、さらには年貢諸役の免除、苗字帯刀御免、絹紬着用御免などの特権が与えられていた。

 さて、大肝入を世襲して来た吉田家には、寛延3年(1750)から明治元年(1868)までの118年間分(このうち寛政11年、文化12年、天保元年の3カ年分を欠く)、合計95冊の「定留」がまとまって残っており、東山南方大肝入の白石家文書と共に双璧をなしている。
しかも、このような伝存形態は全国的にみても稀である。
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