縄文時代前期(約5000年前以前)は気候がもっとも温暖な時代で、植生も東北北部から北が冷温帯落葉広葉樹林、東北南部が暖温帯落葉広葉樹林だったと思われます。この森林相に対応して登場したのが「大木式(だいぎしき)土器圏」と「円筒式土器圏」という2つの土器圏です。この2つの土器圏は、現在の秋田市と盛岡市を結ぶラインを境として二分され、縄文時代中期(約4000年前以前)中葉まで続きました。
 宮城県の仙台湾周辺を中心とした大木式土器文化では、沈線文・竹管文などの施文法に共通性をもって平底の浅鉢・深鉢・円筒形の土器などが作られました。
 一方、青森県を中心に出現した円筒土器文化は、前期を円筒下層式、中期を円筒上層式といい、形はその名のとおり単純な円筒形深鉢の土器で、岩手県北部から北海道南部まで広がっていました。
 八幡平市の長者屋敷遺跡は、縄文時代の住居跡が350棟発見された県内屈指の遺跡ですが、土器は両形式が混じり、前期前半は大木式、後半期は逆に円筒下層式系土器が大半を占めます。さらに末葉には再び大木式となり、円筒下層式との融合形式が成立します。このように大木式と円筒式はお互いに影響を受けながら発展していったものと考えられます。