いわての城・館
藩政時代の城・館

金ヶ崎城(かねがさきじょう)  別名・金ヶ崎要害・胡桃館(くるみだて)・白糸城(しらいとじょう)

場所
金ヶ崎町西根字白糸 地図

現在の名称
金ヶ崎城跡・諏訪公園

地勢と遺構
北上川と胆沢川が合流する北岸平坦地にあり、直下を宿内川が流れる。標高は52〜54メートルと起伏が少なく郭は5つ、北西−南東方向に約600メートル、北東−南西方向に約170メートルの範囲に認められる。郭は北西から順に丸子館、二の丸、本丸、東館、その他である。各郭は幅10〜15メートルの空堀で区画され、北西部(宿内川方面)は自然地形の崖を利用。二の丸西辺の一部に高さ50センチの土塁が残存している。

本丸跡

宿内川から本丸を望む

本丸と二の丸の間の堀

武家屋敷

台地状の二の丸

二の丸の金ヶ崎神社

歴史
安倍氏の白糸柵(しらいとのさく)の擬定地で、戦国時代には小野寺氏が城主。和賀氏の勢力圏だったと思われるが、天正(てんしょう)9年(1581)の糠部(ぬかのぶ)・九戸政実(くのへまさざね)の侵攻を許した合戦では、城主・小野寺宗道は葛西晴信(かさいはるのぶ)に助力を求めている。近世初期には仙台藩の領地となり、城主は桑折政長(こおりまさなが)、伊達(留守)宗利(だて(るす)むねとし)と続き、宗利の水沢転封後の正保(てんぽう)2年(1645)に藤沢から大町定頼(おおまちさだより)が入城して9代240年以上続いて明治維新を迎えた。城近くの城内諏訪小路地区は当時の武家住宅が11棟、街路などもほぼ当時のまま残り、平成13年6月に文化庁から「重要伝統的建造物群保存地区(伝建群)」として、県内ではじめて指定を受けた。

交通
金ヶ崎駅から車で約5分

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