文化財情報  詳細
徳丹城跡
とくたんじょうあと
指定種別 国指定
種別 史跡
指定年月日 1969年 8月 5日
数量
所在地 矢巾町大字西徳田
所有者 矢巾町 外
保持団体
管理団体
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概要
徳丹城は、平安時代初期における陸奥国北辺の城柵であった。
胆沢城の北方に前衛基地として志波城が築城されたが、志波城は河浜に近くしばしば水害を被るので移転すべきことを、弘仁2年(811)、文室綿麻呂が奏言し裁可になっている。
その後、志波城廃止のことや徳丹城造営について全く正史は欠けているが、綿麻呂の征討の軍事的行動などから、徳丹城は弘仁4年(813)に築造されたと推定されている。
徳丹城は、矢巾町徳田に位置し、規模は一辺約3町のほぼ方形である。
外柵の各辺の中央にそれぞれ門跡があり、外柵にのって200尺程の間隔で櫓跡も確認されている。
内柵には、東西5間・南北2間の正殿跡、東西の脇殿、内柵南門跡とそれに接して東西に2棟の建物が発見されている。
出土品は土師器、須恵器、布目瓦と西門の柱に「由北角柱」の四字が刻まれたものなどが発見されている。
徳丹城は、鎮守府胆沢城の最北前衛基地としての機能をもった史上貴重な遺跡である。